「どうした迷子? 泣いてるのか?」
しばらくして到着した幼馴染の彼の問いかけに、私は俯くだけの返事をした。
「で、もう一人の迷子はどこにいるんだ?」
「……連れて行かれた」
「飼い主が見つかった?」
「まだ」
「だよな。ってことは……だよな?」
「だよね」
「だよなあ」
これだけの会話で通じ合える間柄の私達。
言葉にするのをためらう時はいつも、彼はそうしてくれる。
そんな存在のありがたみを再認識し、ちゃんと伝えたくなった。
「ありがとう」
「いいってばよ。わかってるって」
いつも変わらないあっけらかんな優しさが身に染みる。
「それにしても、オレの方を見てもいないのによくわかったな」
「そりゃあ、わかるってばよ」
「さすがオレ達の仲! テレパシーってやつだな、うん!」
「テレパシー?」
振り向いた私に、彼は得意げに差し出してきた。
「じゃあーん! ほれっ!」
カップラーメンを二つ握りしめている彼の満面の笑顔に、私はあっけらかんとした。
伝わらないこともあるよなあ……。
「ちゃんと伝わってるぞ! やっぱりテレパシーだ! 今、どっちの味を選ぼうか迷っているだろう?」
通じ合えない時もあるよなあ……。
だからこそ人は言葉を覚えたのかもしれない。
遠い昔の人も、こんな風に伝わらないもどかしさを幾度となく経験したのだろう。
例えば遠い昔のある時、仲良しのBを引き連れたAは背中で『こっち』だと伝えながら進んだ。
Aは当然自分についてきてると思って振り向くが、Bは『あっち』に進んでてぽっつーん……。
いくつものぽっつーんを繰り返して、時に腹を立てたり、がっかりしたり、かなしくなったり。
言葉の過不足で関係をこじらせて、簡単なことをわざわざ難しくしたり。
それでも人は孤独が苦手だから、結局誰かと関わりを持つ。
独りじゃないって安心させてもらったその誰かに感謝を抱く。
その誰かを大切に想い、幸せな気分を覚えるから伝えたくなる。
『ありがとう』って。
『好き』って。
シンプルな想いをシンプルな言葉で伝えられたらやっぱり私は素直にうれしい。
だから私は共に暮らす兄弟猫の二人にも毎日想いを伝える。
『いつもありがとう』って。
あのシニア犬は今まで、飼い主さんに何回『ありがとう』を伝えてもらったのかな……。
目を閉じると、ふいに彼が言った。
「だよなあ」
「え?」
「いやさ、動物はシンプルに生きてるから言葉がなくても普段は困らないだろうけど、迷子になった時はやっぱり困るよなあと思って」
「だよね」
「けどまあ、言葉にしなくちゃ伝わらない想いもあるし、言葉にしなくても伝わる想いもあるか」
「言葉にするのと言葉にしないのって、相手からするとどっちがうれしいのかなあ」
「どっちもうれしいんじゃね? 伝えたい相手がいるってだけで」
「だよね」
私は深く頷いた。
言葉を持たない動物にも言葉で伝える想いはきっと届くと信じているし、言葉を発しない動物の想いだって痛いほど伝わる時もあると実感しているからだ。
「なんにせよ、伝えたい時に伝えておかなくちゃな」
「そうだよ」
「わかった!」
「なにが?」
「伝える!」
「なにを?」
「オレの気持ちを!」
彼は真剣な眼差しで私を見た。
「私に?」
「そう」
「……なに?」
「オレは……」
彼が大きく息を吐いた。
すると、ぎゅるるるる。
お腹が鳴った。
「伝わったか? オレの気持ち」
「……まあね」
「よかった! じゃあカップラーメン食おうぜ」
当然、麺はのびのびだった。
「うーん、美味! お湯を吸ってのびたおかげで麺が増えた気がして、なんだかお得感があるよな」
「そう?」
「そう! だって、どうせ同じ時間を過ごすなら、ネガティブよりもポジティブに捉えた方がお得感があるし!」
本当にその通りだ。
私とシニア犬の物語にまだ幕は下りていない。
あのシニア犬が飼い主さんと再会できる為に、私にはまだやれることがあるはず!
相談しようと横を向いたら彼が宣言した。
「とりあえず、オレ達で飼い主さんを捜すぞ! だよな?」
「だよね」
私の想いは伝えたい相手にちゃんと伝わっている。
私は幸せ者だ。
この幸せをあのシニア犬にも繋いであげなくちゃ!
だって、キミには幸せが似合っているから。
≪ありがとう≫
伝わった!
「いいってばよ、キミ」
〈続く〉
あなた様とあなた様の大切な存在が
今も明日もLucky Lifeを送れますように
富山桃吉