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飼い猫様の窃盗 2

誰かの愛すべき存在である飼い猫様を窃盗し、己の欲望のままに私腹を肥やした業者の男は、その行いの報いを受けることでしょう。
窃盗の被害に遭った飼い主様方の怒り・かなしみ・恨みのすべてを背負う人生が、これから先に待っているのです。

人間は誰もが、人生のどの局面であっても選択の自由が自分自身にあるため、時には過ちを選ぶことがあるかもしれません。
また、その時々でより良い選択をしたつもりでいたのに、後になって考えが変わり、”本当にこれで良かったのだろうか”と後悔することもあると存じます。

逆に、悔いが残る選択をしたつもりでいたけれども、後になって、”あれで良かったんだ”と肯定的に捉えられることもないわけではありません。

飼い猫様の窃盗 1』から綴り続けている私見が、件の事件とどう関係があるのかと首を傾げる方もいると存じます。
しかしながら、大いに関係する出来事だと私は感じるのです。

理由としましては、なにがしかの選択を迫られた際の基準をどこにおくのか、というこです。
この事件を起こした業者の男が、仮に金や職に困っていて今回の事件に手を染めたとすると、己の苦境から逃れるために、猫様の命を利用したわけです。
猫様の命を軽んじたその行動のどこをとっても、”この選択で良かった”と肯定的になれる要素は微塵も見当たりません。

因果応報に照らせば。
当然の帰結として、この事件を起こした業者の男は今後、かけがえのない存在を”愛すること”と、その相手から”愛されること”の機会に恵まれない可能性があります。
もしもそういった機会に恵まれたとしても、今度はそれを誰かに奪われて失う羽目になるのを、この業者の男は経験するかもしれません。

この期に至って申し上げても後の祭りですが。
この業者の男が欲望のままに私腹を肥やすことを最大目的とせず、窃盗のターゲットに定めた猫様の命、およびその猫様の飼い主様の気持ちに寄り添って考えることを基準としていれば、まかり間違っても、今回の事件は起こらなかったことでしょう。

これまでの歴史が示している通り、多分に自己中心的な基準からは、なかなかポジティブな結果がうまれにくいこと・ネガティブなスパイラルに陥ることを、”今”初めて知る人間はこの現代にいないはずです。
数えきれないほどの犠牲・涙・過ち・後悔を記憶に刻みながら、進化・向上・気づき・悟り・目覚めを経て”今”がある以上、基準をどこにおくべきかはもはや明確だと存じます。

〈続く〉

あなた様とあなた様の大切な存在が
今も明日もLucky Lifeを送れますように

富山桃吉